なぜ不幸は重なるのか?悪いことが続く理由とは
こんにちは。もぐおです。
今日、普段行かない場所でグーグルマップを見ながら歩いていたら、道端でおばちゃんに思いっきりぶつかってしまいました。
おばちゃんはそのまま腰と頭を打つように転んでしまったので慌てて駆け寄ると「私がよそ見してたからごめんなさい、大丈夫そうだから気にしないで。」と言ってくれたので大事にはならずに済みました。
あぁ、怪我させずに良かった、と思いながらバイクに跨り職場へ走り出した瞬間、スマホホルダーからスマホが落っこちて画面がバキバキに割れてしまいました。
以前にも手が滑って割ったことがあるのですが、その時は修理代に15,000円ぐらい掛かったので手痛い出費です。
しかし割れてしまったものは仕方が無い。家に帰ったらこれをネタにブログ更新しよう、とその時までは思ってました。
いざ仕事も終わりブログの内容を考えながら帰り支度をしていたらバイクのキーが見当たらない。
あれ!?鍵どこだ?・・・もしかして、バイクに刺しっぱなしか!?と思ったら悪い予感は当たり、ライトも付けっ放しだった為にバッテリーが完全に上がってしまってます。
過去にもバイクのバッテリーが上がったことがあるので対策は用意していたのですが、肝心のバッテリー充電器は家に置いてあるのでバイクを会社に置いて電車で帰るはめに。
いつもなら乗り換え1回で帰れるはずの路線のはずが、今日はタイミングが悪いのか直通の電車がなく、2回乗り換えないといけません。
今日に限って面倒だなーと思いながら家に帰り寝間着の甚平に着替えたら、なんとポケットに大きな穴が空いてるではありませんか。
バッテリーが上がったときから薄々感付いていたのですが、今日はやたらと悪いことが重なります。まさに踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。
「なんでこんなに不幸が続くんだろう?」
諺になってしまうぐらい昔から言われているということは、何かしら根拠となるものがあるはずです。どうせトラブルが続くのならその理由を考えてみたいと思います。
不幸は重なると意識するから続いているように感じる
一つ目は、そう思うからそう感じているだけだ、という説です。
おばちゃんに当たったけど怪我がなくて良かった、スマホを落としたけど画面が割れただけで済んだ、バイクにキーを挿しっぱなしでも盗まれなくて良かった、などと一連の流れをプラスに捉えることも出来るはず。
しかし、それだけではあまりにもすべての物事が連続し過ぎてます。人とぶつかって転ばせるなんて大人になってから初めての経験でした。
おばちゃんの転ぶ姿が何故かスローモーションに見え、傷害事件になってしまったらどうしよう・・・まさか殺人犯になるかも・・・なんて事まで一瞬で考えてしまい冷や汗が出てくる始末。
そしてその同日にスマホの画面割れとかバイクのバッテリー上がりが重なるなんて偶然にしても出来すぎです。
一つの不幸に気が動転して不注意になることで他のトラブルを引き起こしている
そこでこの仮説が成り立ちます。
これまでに経験したことの無いような大きなトラブルにより正常な判断力を失った結果、本来なら回避できるはずのミスをしてしまう。
これは十分にあり得る話かと思いますが、そうなるとスマホがホルダーから落っこちたとか電車の乗り換えタイミングが悪かったとかポケットに穴が空いてるのに気付いたなど、自分の判断力以上の不幸が起きていることに説明がつきません。
すべて偶然、そんな日もある
そうなるとこの説が成り立ちます。しかし、これでは不幸が重なることと同じぐらい幸福が重なることについて、諺の一つでも無ければおかしいはずです。
悪いことが続くなら良いことが続くことだって同じぐらいの確率で起こっているはず。そうだとしたらそれに関する何かしらの言い伝えや伝承が残ってても良いはずですよね。
ぱっと思いつかないだけで何か有るのかなと思ってGoogle先生に尋ねてみたところ、「良いこと 続く」とか「幸福 重なる」とかで調べてもスピリチュアル的な怪しいブログとか何とかの科学的な宗教サイトがヒットしたので却下。
そういうことが知りたいんじゃないんだ。
悲劇のヒロインに陥る自分に酔いたい
これは仮説1に被る部分もあるのですが、悲劇が数回重なることで自分はなんて可哀想なんだと思いたくなる心理が働きます。
そして優しい言葉を掛けて貰いたい、同情を寄せてもらいたい、という気持ちから可哀想な自分を周りに風潮することへと繋がります。
これはかなり有力な説だと思いますが、だとしたらバイクのバッテリー上がりやスマホの落下は本当にやめて頂きたい。
実害のあることに対して優しい言葉を掛けられたとしても、私はそれより金が欲しい。俺はそういう人間だ。
マイナス思考をしていると更にマイナスなことが寄ってくる
よく言われる引き寄せの法則というやつです。
胡散臭いですねー。マイナスなオーラを発しているとマイナスなことが引き寄せられるので負のスパイラルに陥るということでしょうか。
だとしたらこの世界は幸せな人と不幸せな人が両極端に別れていないと成り立ちません。
生まれながらにしてプラス方向に向かう人間とマイナス方向に向かう人間で別れるはずですが、私達人間は悩み苦しみながらもそこそこ幸せを感じて生きています。
なんかもうちょっと説得力のある説は無いんでしょうか。
次にもっと良いことがあるから
ちょっと混乱してきたので嫁さんに「なんで不幸なことって重なるのかな?」と聞いてみたらこんなことを言われました。
「次にもっと良いことがあるからじゃない?」
完全な精神論で、なんの根拠もありません。子供騙しも良いとこです。
ただ、なんとなく腑に落ちました。
「次に良いことがなかったら、その次にもっともっと良いことがあるんだよ」
だそうです。案外、人生なんてそんなもんかも知れません。
【結果】次に良いことがあるから頑張ろうぜ
納得はできないと思いますし僕も納得してませんが、ただ、そんな感じで良いんじゃないでしょうか。
是非あなたの考えも教えて下さい。そんなお話でした。