どうか無事で
キャンプの季節がやって来ましたね。
テレビを見てると週に一回はキャンプ関連の番組がやってるように感じる。
そんな中、よく行くキャンプ場で女の子が行方不明になったというニュースが飛び込んできた。とても胸が痛くなるニュースだ。
コメンテーターの誰かが、このキャンプ場は良く整備されていてしっかり管理されているキャンプ場だと言っていたけど、俺の感覚では自然が豊かで野性味溢れるキャンプ場だと思う。
ちょっと薪を拾いに山に入ると大人でも足を滑らせて谷に落とされるぐらい傾斜も有り、夜になると明かりが無ければトイレにも行けないぐらい真っ暗になる場所だ。
もちろんよく管理はされてはいるが、管理人が常駐しているわけでは無いし、サイト間の距離がありプライベート感も満載なので、少しテントから離れるとポツンと一人になる瞬間もある。
むしろそれが良くて、そのワイルド感が好きで通っていただけに今回のニュースは非常に残念だった。
いつかの北海道の男の子のように山小屋かどこかで、どうか無事で安全に過ごしていてくれることを願うばかりだ。
痩せ型のデブ
今日の朝は久しぶりにトレーニングジムに行くことを決めた。
毎月の会費を払っているのに最初の3ヶ月以降は月に2〜3回程度しか通っていないので、せめて少しでも元を取らねばと気合を入れなおす。
体重は75キロ前後で推移しており一般男性に比べると肥満気味。自分ではデブよりの標準体型だと思っていたが、鏡を見る限り痩せ型のデブにしか見えない。
一時期、週5ペースで通っていた時は68キロぐらいまで落ちて、筋肉の形もぼやっとだが見えていたのにな。
本日の記録
スクワット 80㎏ 5×5
ベンチプレス 50㎏ 5×5
デッドリフト 85㎏ 5+5+2+2+5
体重 75.3㎏
筋トレ後に会社に行ったら昼休みに足が筋肉痛で辛かった。
これからは二日に一回ぐらいのペースでちゃんと通うようにしよう。
助走のまま死んでしまいそう
本を読まなくなった。
暇があればいつもスマホを見ている。
昔はもっと小説を読んでいたような気がしたけど、思い返せば星新一のショートショートや短編集のようなものしか読んでなかった。
推理小説や長編ものは何やかや手を出さなかった。子供の頃からパッと読んでサクッと面白いものが好きだったんだ。
だから今のインターネットは性に合っているのかも知れない。読みたいときに読めて後に残らない。朝読んだコンテンツは夜には忘れている。
常にその場しのぎの暇つぶしが続いている。
趣味のキャンプについて記録を残していこうと始めたブログなのに、キャンプは行けども記録は残さず。
これがその場その場で生きてきた人間の限界です。
ただの日記にしようかとも考えたけど、日々記すようなことも無く。毎日を惰性で生きて、助走のまま死んでしまいそう。
自動尻叩き機
歳を取れば取るほど「継続は力なり」の実感をヒシヒシと感じる。
子供の頃と比べてやり明らかに続ける気力というものが落ちている。何も続けられなくなってしまった。
自分の為に始めたことさえ、なんやかや理由を付けてサボってしまう。強いて続けられていることと言えば仕事ぐらいで、その仕事さえ尻を叩かれないとやる気が起きない。
誰か自動的に尻を叩いてくれる機械を開発してくれないかな。
女子の人間性否定トーク
とても暑かった。
明後日あたりに台風が来るらしいが、大気が安定しているのか、もの凄い暑い日だった。
なので髪を切りに行った。
予約までに時間があったのでキャンプ用品店にアルコールストーブを物色しに行ったけど、3000円ぐらいする良い奴しか置いてない。
やっぱりamazonで売ってるような1000円以下のアルコールストーブは量販店には売ってないのかなあ。
そうこうするうちに時間が迫ってきたので美容室に移動。
歩いてるだけで汗が噴き出てくるような暑さだ。
担当の美容師さんに、暑いのでバッサリ切って下さいと依頼。
かなり良い感じになった気がする。
シャンプーをして貰っているときに隣の会話が聞こえてきたので女子トークをずっと聞いていた。
友達の結婚式に参加したら同席した友達がトイレで泣いていたらしい。どうしたの?と聞くと、私の方が早く結婚するはずだったのに、と悔しくて泣いていたようだ。
えー!?さっきまで泣きながらおめでとうって言ってたじゃん!まさかあれも悔しくて泣いてたの!?と思ったけど聞けなかったらしい。
その後はその子の人間性否定トークでめちゃくちゃ盛り上がってた。
髪を切ってもらった後にパチンコ屋で5000円負けた。
この5000円でアルコールストーブ買えたな。
今日の4、今日の8
教科書が読めない人が一定数いるらしい。
https://toyokeizai.net/articles/-/300847?display=b
ニコニコ動画やYouTubeなどの動画共有サービスが一世風靡したのは何年前になるだろう。
十五〜六年前、西暦でいうと2003年頃はまだ2ch全盛期だった気がするし、05年頃からニコニコ動画が面白いぞとザワザワし始め、そこから数年であっという間に動画共有が一般大衆化されたように感じる。
気付いたら2ちゃんねるが本当に閉鎖されていたり今日の4や今日の8といった謎のパスワードを解く事もなくなってしまった。
昔は良かったなんて言うつもりは無いし、今の方がインターネットは明らかに健全になっているのだが、誰もが好きに書き込める環境が整ってしまったことで文章を理解するのが苦手な人達まで個人の意見を発信するようになったと思う。
おそらく冒頭の教科書が読めない人というのは昔からそれほど割合自体は変わっておらず、分布しているエリアが異なっただけなのではないだろうか。
昔はテキストでのコミュニケーションが苦手な人はインターネットから自動的に排他されていたので顕在化されることは無かったが、今や人類みなインターネット時代である。
大人も、子供も、おねーさんも、全員がインターネットに繋がっている。
そしてそのインターネットは文章が読めなくても楽しめるエンターテイメントが満載なのだ。
半年ROMれと罵られることもなければ、ROMっているだけで十分に楽しいのが今のインターネットなのである。
言いかえれば、みんなで集まって楽しいことをやっていた側(文章が読めるタイプ)は、今や表現者として楽しませる側に回り、インターネットに関われなかった側(文章が読めないタイプ)がリスナーに回ったということではないだろうか。
そこで、一つの問題が発生する。
これまで決して表に出ることが無かったリスナーの声が、なんのフィルターを通すことなく無編集で発信されるようになったのだ。
そりゃあ目立ちます。これまでネット上でしのぎを削ってきた人達の中に、いきなり無課金のアバターが乱入してくるようなものだ。
これが悪いということではなく、今はもうそういう世の中になったということだ。
嘘を嘘であると見抜ける人でないと、なんてもはや言ってられないのである。
インターネットは黎明期を超え、成長期を過ぎ、今は成熟期に入った。いや、またまだ成長期の真っ只中かも知れないのである。
これからのインターネットがどこまで進化するのか今から楽しみだ。
インターネットデブリの記憶
ぬるっとブログの更新を再開してみた。
理由は、とあるキャンプメディアでライターとして記事を投稿することにしたので、個人ブログもちゃんと更新するようにした方が良いかなと思ってのこと。
キャンプメディアと言っても某キャンプハックのような大手メディアではなく、スタートしたばかりの小さなポータルサイトである。
思い返せば、昔から何かを思い立っては個人ブログを立ち上げていた。
それこそ魔法のiらんどから前略プロフ等々の黒歴史を含めて、mixi、アメブロ、FC2、名前も忘れてしまったサービスまで様々なインターネットデブリを残したものだ。
今でもアカウントは残ってるかも知れないし、あったとしてもパスワードを忘れているからどうしようもないが。
海に漂うゴミは海流に乗ってあるエリアに集まるらしい。それを回収して海を綺麗にするプロジェクトもあるようだが資金不足か何かしらの理由で順風満帆とはいかないようだ。
そのようなことをテレビでやっていたのを横目で見ていただけだが、その時は海にゴミを捨てるなんてけしからん奴がいるもんだ、と思っていた。
果たしてインターネットのゴミはどこに向かうのだろう?
ある一箇所に集められてまとめてデリートされるような機能があれば良いのだが。まあ似たようなことをサービス提供者がやっているのだろうな。
自分の悪口がネット上で書かれていないか検索するエゴサーチというものがある。
試しにグーグルで自分の名前を入れて検索すると、一つのサイトがヒットする。
ある意味では黒歴史だし、ある意味では懐かしい思い出でもある。
どうにかしようにも完全に自分の影響下から離れてしまったサイトなのでどうすることもできない。
ある人にとってはゴミのような記録も、別の人にとっては重要な歴史なのかも知れない。
海にプカプカ浮かぶペットボトルに思いを馳せながら、そのペットボトルにも何かしらの歴史はあったんだろうなと考えてみる。
中学生の頃、歴史に残るような人になりたいと思っていたのを思い出した。
いつも食べないものを食べてみる
いつも食べないものを食べるのが好きだ。それは断じてゲテモノ好きとかディープな話ではない。
例えば、松屋に行って新商品が出ていたらとりあえず食べてみたいし、よく行く定食屋では注文したことないメニューを注文したりする程度のことだ。
これを会社の同僚に話したら、チャレンジャーだね、と言われたことがある。
同僚の場合は店ごとに食べるメニューがある程度決まっており、ここに来たらコレ、というパターンがあるようだ。
今日は昼過ぎにお腹が空いたので、近所の喫茶店で遅いランチを取ることにした。
過去に一度だけスパゲッティを食べたことがあったので食事メニューもあるのは知っていたが、まじまじと見ると全部で10品ぐらいしか無いみたいだ。
彩り豊かな写真が並んでいるが、以前に食べたナスのスパゲッティはとても美味しかったので今日は違うものを注文してみよう。
どれだけ美味しい料理が出てくるのか楽しみだ。
ウェイトレスが運んできたビーフシチューオムライスはメニューに載っていた写真とお皿や盛り付けが異なっているように感じた。
あれ?と思いながらビーフシチューをスプーンで掬おうとしたら、想像してたよりもお皿が浅くカチンと跳ね返される。
こんなに浅瀬のビーフシチューは初めてだ。水深1mmしか無いぞ。
どうやらメインはオムライスの方で、ビーフシチュー要素はトロトロのお肉が数個ほどデミグラス色のウユニ塩湖で遊んでいるぐらいだった。
期待を裏切られはしたが、味はとても美味しい。とろとろの卵がチキンライスを包み、ビーフシチューが良いアクセントになっていた。
もしまた来ることがあったら、次回はカツサンドを頼んでみようと思う。
食後のコーヒーを注文して、ぼーっと考えてみる。
普段食べないものを食べるってそんなに珍しいことでもないし、常に同じものを食べることの方がどちらかと言えば苦痛なのではないだろうか。
と思ったが私の妻はいつも同じものを食べている。コレと決めたら1ヶ月ぐらい同じものを食べ続けていても何とも思わないようだ。
思いを巡らすと、何を食べるか、というのはこれまでの生活の中で何百何千と繰り返されてきた自問自答である。
この手間を省略してしまった方が、人生のリソースを考えれば、かなり有益なのではなかろうか。
考える手間が省けて他のことに集中できるし、期待したものが美味しくなかったという余計なストレスを抱え込まなくて済む。
何を食べるか、を辞めてみるか。いやしかし、それにはチャレンジできそうにはないな。